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++ 枯れすすき日記 ++
いろいろな意味で枯れすすき化著しい私。
そんな私の日常を聞いてください・・・


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作家名:ゆーはる
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2011-08-06 (土) 01:46
どうしてこんなに書く気がないのかしらー

まずは、
マンちゃんひなさん、わざわざ掲示板に書き込みありがとう!
本人ですらそんなところがあることを忘れていたのに・・・
なんてありがたいことなんだろうと号泣(ノ_・。)
変わらずの親しみ深く温かい言葉が身にしみました。
持つべきものは、どすこいの流れですね。
え?あ!もしかしてみんなどすこいじゃなくなってたりして!?
ずるい。
私はまたまたあれから(いつから?)2〜3キロ増量して大事にどすこいの血を守り抜いてますよ。

でも、そんなことよりなにより、書き込みに今頃気づいてお礼ってどうよね?
そして、またまた前回の日記を書いてから8ヶ月ほど過ぎてしまったってどうよね?
もう過去の遺物と扱って下さって結構ですから私(ノ_・。)
ええ、埴輪とも古墳とも新古今和歌集とでもなんとでも呼んで下さって結構ざます。


ここにログインするにも一苦労。
パスワードもIDもきれいに忘れていますからね。
いろいろと努力して、二日がかりで入って来れました。
(ま、早い話がパスワードとかを書き留めた秘密の手帳があったことを突然思い出して、それを必死に探し出したわけだけど)
どうでもいいけど、この「パスワードやIDの記憶をなくしてしまった」がために、無駄になったブログとかが1コや2コではないんですけど。
ホント、そういうところに私の47年の生きざまが集約されているとしみじみ思います。
そうです、わたくし先月47歳になりました。
息子たちには「29歳だわぁ、とうとう来年は30歳だよ、ママ。いやだわぁー」とかまだ言ってるけど。
相手にもされてないけど。


とかなんとか言っているうちに、
お時間です。
(だからなんのお時間?)

また、お会いしましょう。
ごきげんよう^^v


やけにあっさり終わり。




2010-12-17 (金) 20:36
遅いつづき。

自分でもかすかに予想はしていたけど、
やっぱり一ヶ月ほどたってしまいました・・・
さすが私。
自他共に期待を裏切らない。


前回、「つづく」としましたが、
「つづき」は、ちずちゃんのことを書くつもりでした。

ちずちゃんのことは、読み返したら去年の9月ぐらいに記したのが最後。
それからも、いろいろとあってねぇ・・・
今思えば、去年の9月のちずちゃんなんて、まだまだ普通だったなって感じます。


まず、今年の1月の終わりのこと。
1月のはじめにいつも、うちの実家で友達を呼んで新年会をするんだけど、
今年はなんと、私の弟が「憩室炎」とかいう腸の病気で正月の二日から入院。
たもんで、うちの家族は元日あたりにちょっと実家にいったけど、いつもの新年会は延び延びになり、
弟が復活した1月の終わりに開催された。

元日に行った時は、ちずちゃんも行ったんだけど、
その新年会は、誘っても行かないと言い張るので留守番してもらった。
ま、家で一人でいるくらいなら問題なかったし、
だいたい、普段から一人でいる時間が多いわけだし心配してなかった。
当時も、外では支えがなくては歩けない状態で、
ただ、部屋からほんの2メートルぐらいのところにあるトイレには、壁伝いに転びながらもなんとかゆっくりと行っていたぐらい。

で、夕方、ちずちゃんのごはんの用意をしてから実家にでかけ、
9時過ぎぐらいに帰ってみたら・・・
ちずちゃんがいない!
けんぢパニック。
私は意外に冷静。
すぐに車で探しに行った。
私は、野生のカンで、駅の近くにいるのではと思っていた。
だもんで、まず駅を目指し、
駅の周りにいないのを確認したら、
うちの実家とけんぢやちずちゃんたちが昔住んでいた家の方角に向かって車を進めた。
すると、すぐに見つかった。
家でいないのを確認してから、ほんの5分足らずだった。
けど、ちずちゃんはいったいいつからさまよっていたのかわからない。

さっきも書いたように、ちずちゃんは歩けないはずだ。
なのに、どうやって1キロぐらいの道のりを歩いたのだろう・・・
わからない。
ただ、私が見つけた時、彼女は顔面血まみれの、ものすごい状態だった。
よく、誰にも見られずに歩いていたなと思う。
見てしまったら、きっと誰かが大騒ぎしていたはず。

とりあえず、家に連れ帰ったけど、
どこに行こうとしたのか、どこでころんだのか、まったく覚えていない。
会話にならない。
血は止まらない。
けんぢが救急車を呼んだ。

結局病院からその日のうちに家に帰ったけど、
またあごのあたりを骨折していた。

その事件のあと、
ちずちゃんは、また少し病状が悪化した。
動きが悪くなり、認知症の症状が悪化した感じだった。
ケアマネもデイサービスの人たちも、これは介護認定をしなおした方がいいと勧めてくれたので、
調査に来てもらった。
その時点で要介護2だったけど、最低でも3にはなるだろうということで調査してもらったが、
なぜか、要介護度は変わらず。
受けられるサービスは変わらずになってしまった。
ケアマネもデイサービスの人たちもとてもびっくりしていた。

でも、不服がある場合は県のほうに訴えでなければならなくて、
よけいに面倒だから仕方なくこのまま受け入れた。

それでも、今思うとまだその頃はましだった。
起きたら、ベッドからずり落ちるようにだろうけど出て、
ゆかに座り、わけわからないことをしながら過ごすことが出来た。
トイレも回数は減ったけど、まだなんとか自分で行くこともできた。
ごはんも自分で食べることができた。
会話も充分ではないけど、なんとかできた。
着替えもおむつの履き替えも、自分でギリギリできた。


でも、7月に入った途端、
原因はわからないけど、最低限出来ていたそれらのことがほとんどできなくなってしまった。
特に7月〜8月にかけてが一番ひどく、座っていることができず、
ごはんも自分では一切食べられなくなった。


なので、8月にまた介護認定の変更の調査をしてもらった。
今度はいい加減要介護度は上がるはずとは思っていたが、
一気に要介護5になった。
介護度の最高レベルで、寝たきりのレベル。

ただ、介護度があがったはいいけど、
いろいろとあって・・・
これを私が説明したら、それこそ日が暮れるから割愛するけど、
結局意味がなかった気もする。


でも、ちずちゃんは8月も終わる頃から、
こぼしながらもご飯を自分で食べてくれるようになり、
それだけでも私はとても楽になった。
あと、肘あてツキのイスを買ってあげたら、なんとか座っていられるようになった。

ただ、寝かせておけば寝たきり、座らせておけば座ったきりという状態。
移動はすべて私が抱えてでないとできない。
着替えももちろんできない。
トイレもひきずるようにして一日2回ぐらい連れて行ったけど、
オムツの交換ももちろん自分ではできなくなってしまった。
激しい便秘症の人だったので、ウンチの回数はものすごく少なかったけど、
今まではなんとかウンチは自分でトイレでしてくれていたのがダメになったので、それがとてもつらい。

うちは階段を上がったところに建っているので、出かける時が大変で、
デイサービスの時も、デイの人におんぶしてもらっていくようになった。
私は危なくておんぶができなかったので、病院の時はけんぢにちょっと来てもらい、おぶってもらって車にのせてから連れて行った。
病院ももう車椅子でないと無理になった。


認知症の症状も進み、顔に表情がなくなった。
話しかけても、答えが返らないことが多くなった。
別人のようになってしまった。

このまま、家でずっと看ていくことは、私のようなズボラな人間には到底無理だと思ったので、
一番安い「特別養護老人ホーム」というところに申し込んだ。
でも、安いだけあって、10月の時点で100人待ちということだった。
100人待ちっていったいいつになるのだろうか・・・
正直な話、100人が亡くならないと無理なんだろうと思う。
何年先の話だろう。

それに一番安いとはいえ、要介護5で入所した場合、月に最低でも8〜9万円がかかる。
ちずちゃんは年金が月に5万円もないので、残りの分は私が稼がないとならない。

義妹とはあれ以来まったく疎遠になっていたが、
夏ごろに、
なんにも面倒を見てくれないのだから、
施設に入るようになったら、たとえば月に1万でも出してもらえないかと、
お願いするのはとっても気が進まなかったが、話してみた。
そしたら、

「私たちがお金を出すことで、お兄ちゃんちが楽をするのが許せないから、
お金を出せというなら縁を切る」


と、信じがたいことを言われた。
もう、ホントどうしようもない。
彼女たちの中に「母親」は不在。

こうなったのも、
「運が悪かったとあきらめろ」
とも言われた。

自分は母親の世話どころか、
会いにもこないのに、
「私の周りの人がみんな、なんでおにいちゃんのお嫁さんはなんにもしないの?って言ってるよ」
とも言われた。
私はなんにもしてないのだろうか?
少くとも、一切寄りつかないおまえたちよりはよっぽど介護していると思うが。。。


頭にきたけど、
もうホントどうでもよくなった。
とりあえず、まだ施設に入る時期は当分先だしね。
縁を切るなら、それでかまわない。
やつらと絡みのない生活はものすごい快適だしね。



そんな感じで、
あまりよい状態ではないながらも、こうして過ごしてきました。
11月の27日まで。



11月27日。
集金の仕事を終えて夕方帰ってきて、
まずちずちゃんの部屋に行きました。
いつものように椅子に座って寝ているちずちゃん。
でも、私が動いたりすると大抵気配で顔をあげたりするものだけど、
その時は寝たまんまだったので、ちょっと声をかけてみたけど、
反応がなく。
とはいうものの、そういうのもけして珍しいことではないから、そんなにおかしいと思ったわけでもないけど、
何度か声をかけてみた。
座って顔を見た。
おかしい。
からだをゆすった。
反応がない。

ちずちゃんは死んでました。

















2010-11-21 (日) 00:11
すごいよすごい!

一年のご無沙汰でした。

別に何をしていたわけでもなく、
一年間、いつものようにヘラヘラ過ごしてました。
日記を書かなかったのは、
これもまたたいした理由があるわけでもなく、
でも、強いて言えばネトゲにはまっていたのがあったかな(# ̄ー ̄#)
あとは、元々の飽きっちょな性格がやっぱり・とうとう如実に出てしまったというか・・・
そんなモンです。


いつもくだらないダラダラ日記を書いていただけなので、
日記を書かなかったとことですみませんとは言えませんが、
いろいろとコメントを書いていただいたのに、
ほったらかしにしていたことは、本当に申し訳なく思っております(゜-Å)
ごめんなさい。

で、今更お返事書いても仕方ないので、
やっぱり放置の意向というのもすみません。
もう、こんないい加減な私のことなんか「こんなオンナ忘れてやる!」と捨ててくださって結構です(ノ_・。)
でも、ちょっとだけ忘れないでね❤
どっちやねん。



さて。
1年間放置した最近のわたくしの生活事情について。

とりあえず「貧乏」。
これは変わりませんね。

そして、お子さまたちですが、

優作さん中3、人生初の受験生となりました。
相変わらずいじめにあいながらも、ちゃんと学校に行ってます。
夏休み明けから、大手の塾にも通い始め、今までの塾と掛け持ち。
最初に明記したようにうちは貧乏なんですが・・・?
夏休み明けから受験までのたった半年でも、塾代だけで40万は下りません。
とりあえず、本人はとても入りたいと思っている志望校があるので頑張っているつもり。
ただ、塾にはいくけど、家では勉強しないというスタンスを貫いています。
この期に及んでちょっとばか。


話せば長いけど、
優作さんの通う中学は、ちょうど1年前ぐらいからものすごく荒れてしまって、
本当に大変。
学校崩壊みたいなもので、ありえないことが普通にまかり通っている状態。
ピークは今年の夏休み前ぐらいで、とりあえず落ち着いてきたということを学校はアピールしているけど、
あくまでピーク時に比べたらのことであって、普通の中学からしたら尋常ではない状態。

夜に保護者会も何度か開かれました。
だけど、学校が実情を隠しているようなふしもあって、 
そのくせして保護者に協力を求めるという姿勢が、親の反感を買っているけど。


で、私なんか、またまた当然の成り行きというか、不幸な成り行きというか、
こんなやばい状況の中で、3年の学年委員長なんていう肩書きを4月にいただきましたしね。
ホント余計な仕事を背負い込みましたよ。
でも、最近は学校が「よくなってきたアピール」をしているから、協力なんてしない┐(  ̄ー ̄)┌
誰も・・・当事者の生徒たちですら・・・よくなってきたなんて言ってないのに、学校側が体裁を繕って「よくなってきた」って言っているんだから、ならもういいじゃんと触れないでいます。
子どものことは心配だけど、実際私がノコノコと学校に出向いてばかりいたら、優作さんがまたいじめられるしね。
でも、私は肩書きがあるから仕方なく、誰よりも学校に行ってたんだけどね。

で、そっちの方はほどほどにしていても、ほどほどにできないモノもあって。
3年の学年委員長って自動的に「指名委員会」というものに入ることになってるからやってるんだけど、
この指名委員会っていうのは、来年度の本部役員を探すという委員会。

今のこんな中学の状態見て、来年度PTA会長やら副会長やらになってくれる人がいると思う?
いるわけないやーん。
だもんで、夜な夜なお願い行脚に出るわけで・・・
もうすでに10数回も行ってますが、まだまだ決まりません。
もう、これもイライラしちゃって。
そんなにしょっちゅう夜に出てられるかって言うの。
それ以外にも運営委員会があるから夜に会議があるんだし。
いい加減にして状態。


ってかさ。
サラっと書こうと思っていたのに、
すでに長い・・・
だめだ・・・
サラっと書き流せない。。。(ノ_・。)


ま、中学はそんな調子。
とにかく早く終わって欲しい。
優作さんには早く中学を卒業して欲しい。
中学とは縁を切りたい。
私は子どもが通ってきた幼稚園にしても小学校にしても、
大好きで大好きでしょうがなかったし、
実際今も、私ははるかっちのいる小学校には毎日のように入りびたりだし。
だけど、中学だけは嫌悪感でいっぱい。
幸い、優作さん卒業まで4ヵ月もないのがありがたいけど、
中2年で、はるかっちが入学しちゃうんだよねぇ・・・
その2年間で、まずは学校が平穏になって欲しいよ。


長いのでつづく・・・
(多分)



返事はしない可能性大なので、
コメント欄閉じておきます。
すみませんね、こんなやる気ないおんなで・・・(ノ_・。)
みんな蹴飛ばしてやってね❤







2009-11-13 (金) 15:11
筆記ータマミ。

ほーら、つづきがこーんな遅くなったよー(*^^)v ←悪びれてない。

で、熱が出た優作さんですが。

そんな熱があったと言うのに、よくもあんな遠いところに行き、
しかも箱根だもんで極寒だったらしいし、外仕事で水も触るし・・・

ま、とにかく無事でよかった(*^^*)

即、隔離だったけど、やっぱり話を聞きたいからいろいろと聞き出して。
(意外に余裕)
そんな体調にも関わらず、とても楽しかったらしい(o^ ^o)
若いっていいわよね、ホント。
私だったら途中棄権だわ。

そんで、仕事中に毎日新聞の取材がきたという。
実は、毎日新聞の支社が小田原にあって、そこに同級生が3人ばかしやっぱり職場体験学習に行ったんだよね。
その3人がお仕事体験で取材に来たんだって。
だから、もしかすると新聞に載るかもって言う。
そいつは面白い、期待しないで待ってよう。
と、本当に期待してなかったんだけど、
翌日、載っていた。
地方版だけどね。
うちは読売だから、私の両親もけんぢも毎日新聞を買いに早速行ったよ。
あざらしのえさの鯵を切っている優作さんの写真が載ってました(*^^)v


新聞デビューが犯罪でなくてよかった・・・(ノ_・。)


で、翌日の話は新聞の話ではなく
病院の話。
優作さんをかかりつけの小児科につれてって、検査してもらったら・・・
新型インフルエンザと出ました。
正確には、A型としかわからないんだけど、先生が言うにはこの時期A型だったら新型と断定して間違いないって。
でも、おかけでえらい長い出席停止期間を言い渡された・・・

ぶっちゃけ、優作さんはその日の夜にはもう平熱に下がったというのに、
学校へはそれから一週間行ってはいけないと言われた。
長かったよ・・・(ノ_・。)
全然元気なのに(ノ_-;)ハア…
今日、やっと行ったからね。




まあ、でも、
初めての働く体験に、
新聞デビューに、
新型インフルエンザ。

いろんなことてんこ盛りな優作さんでした。



あ、そして。
まだつづきがあるわよ・・・

昨日、
はるぴょんさまが新型インフルエンザ発症(# ̄ー ̄#)
またまた来週の木曜日まで一週間の登校停止。

しかも、優作さんと同じで、昨日の今日でもう熱は下がってます┐(  ̄ー ̄)┌

なんか無駄だなあ・・・
すごく。

新型インフルエンザ、風邪よりもたいしたことないのはなぜ?

でも、次は私に来るのかなあ。
優作さんは完全隔離していたけど、
はるぴょんさまとはべったりだからね。
うつってもおかしくない。

ただ、周りを見ていると、親にうつった例はないんだよね。
なんでだろう?
年齢制限があるのかな。


でさ。
家族にインフルエンザ患者が出たら、ちーばーばのデイサービスも行っちゃいけないんだって言われて・・・
それが一番がっかりかな・・・
2週間ずっと家にいます。
本人全然元気なのに。
だいたい今まで、家族が風邪ひこうがインフルエンザになろうが、まったくうつったことない人だから、絶対大丈夫と断然できるのにな。

で、本人は元々引きこもりな人だから、
デイサービス行かなくてよくて喜んでいるしね。

(ノ_-;)ハア…

私も、ずっと引きこもりで、
当然のようにまたまた太ってきたし。
もうとどめを知らないね。
やんなっちゃうな。


と、いうことでした。


※ タイトルは「ひきこもり」の意味で「ヒッキータマミ」と書いたら、
  素敵に「筆記ー」と変換されました。
  そして思い出したのは、「末期ー」。
  槙原敬之を「末期ー」と変換してくれた、あの時を思い出しました。
  あれはいったいいつのこと・・・?


















2009-11-08 (日) 11:22
タマミ、フツーに登場。

何事もなかったように日常を語るからね。ふふふ。


11月5日。
優作さん(ブタじゃない方)の命日。
もう20年たつって・・・
あの日、テレビのニュース速報で優作さんの死亡を知り、
とりあえず弟に電話したことだけ覚えている。

数日後、「ブラックレイン」を見に行った。
私は映画館に行くいう行為が嫌いなので、観に行くつもりはなかったんだけど、これだけは絶対に観なきゃならないと思ったから。

観て、号泣でした。
泣く映画ではないけどね。

で、それ以来20年間映画館へは行ってません(# ̄ー ̄#)



そんな命日に(どんなだよ?)
優作さんは(ブタの方)、職場体験学習という授業があった。

11月に2日間、働く体験をさせてもらう企業や店を自分で探してアポイントを取るまでが、夏休みの宿題として出された。
紆余曲折があったが、優作さんは同じ卓球部の友達と2人で、箱根の箱根園水族館というところに行くことになった。

ただし、私は大反対した。
まず・・・
交通費がかかるからだ。←大問題。

他の子たちの大多数は同じ市内で探している。
交通費なんかタダだ。
遠くてもせいぜい隣接した町に行くくらい。
好きこのんで箱根まで行くやつはいない。
それも、湯本ならまだしも、元箱根だ。

で、そんな遠くだから朝の出発が早い。
こっちは弁当を作らなきゃならない、イコール超早起き必至。
いやだ。
やめてくれ。

そして、優作さんは乗り物酔いをする。
交通手段がバスしかない場所で、箱根の山道を1時間半弱。
ダメだべ。
それも心配でいやだ。

とにかくやめて欲しかったのに、振り切られ決定となってしまう。


9月に一度、打ち合わせということで、全員それぞれアポをとった企業や店に行かなければならない日があった。

行ってみれば案の定、交通費往復で3千円以上。
行きでバス酔い。
ほれみろって感じ。

これで、あと二日本番があるから、交通費は全部で1万円ぐらいになる。
もううんざり┐(  ̄ー ̄)┌


ま、そんなこんなで私はどうにも納得いかないまま、当日となったわけだ。

前日から鼻水が出ていたけど、優作さんはアレルギー体質なのでそんなことはしょっちゅうだし、
朝、熱を計ったら36度6分と特に高くなかったので、風邪かアレルギーか見極めはつかないものの送り出した。

電車に乗り遅れたりという大バカなアクシデントはあったものの、
何も連絡がないので、とりあえず水族館には着いたものとして安心した。

帰りは、電車降りてからは自宅に帰るより実家に帰る方がはるかに近いので、実家に帰るように言っておいた。
その日は、午後からちーばーばの通院があったから、私も何時に帰れるかわからなかったし、ちょうどいいと思って。

5時半ぐらいに、病院から帰ってきた途端、父から電話がかかってきた。
「ゆうが帰ってきたけど、大変だ」
と言う。
なにかと尋ねたら、具合が悪そうなので熱を計ったら38度5分あるという。

きたな。
きたきた。

すぐに家に連れ帰り、隔離。


つづく。




のか?

未定。








2009-10-09 (金) 16:06
祝・タマミの息子☆°*ヽ(*^▽^*)ノ*°☆

いえね、今日は一学期終了の日でして。
そんな日につきものの「通信簿」。
美味しんぼではないよ、通信簿。

で、優作さんなんだけど、
初めて「5」をもらったよ(≧∇≦)
もう、これは赤飯ものだね。
で、なんの教科かというと「外国語」。
普段の時間割は「英語」なのに、テスト結果通知表や通信簿だと「外国語」なんだよね。

思い起こせば、言語障害を伴って生まれてきて、
日本語さえ満足にしゃべれなかった優作さんが、なぜか英語で「5」。
ありえない。
(ただし、国語は「3」┐(  ̄ー ̄)┌)

ありがたいことです。
しかも、前回は「3」だったんだから、2段階も上がったわけで、
まあ、よく頑張ったし、塾のおかげもあるんだろうなあ。
とってもマイナーな個人塾で月謝も安いし、大手の塾のように夏期講習やら模試やらないどころか、逆に夏休みや春休みがあるっていうのに・・・
でも、優作さんには合ったのかな。


相変わらず嫌ないじめには遭ってて、
心休まる暇はないけど、
でも、勉強は投げ出さずにいてくれてありがたい。
前回よりも通信簿の合計点は4点も上がったから。


なんにしても、「5」はよかった(*^^*)
記念すベき日だね。
(レベル低すぎな我が家)












2009-10-05 (月) 01:14
もう末期なタマミ。

今日、自治会の運動会があって、いろいろと活動したんだけど、
まず、開会式の後のプログラムナンバー1番のラジオ体操で、
第1のみフルコースでやっただけで、息切れした私はもうおしまいだと心から思った。
そして、こんな時間に、ベーコンとたまねぎと卵とピーマンで炒めご飯を作って、腹いっぱい食べている私もやはり終わりだと思った。
あー苦しい。
もう1時過ぎてるぞ。

寝るか。








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